百聞は一見にしかず。一年間のイギリス滞在はまさにその言葉の意味を、身をもって体験する機会となりました。世界中の人たちと交わり、様々な文化に触れることが出来たこの一年は私の人生の中で最も学びの多かった年といえるでしょう。
私が滞在したブライトンという町は、おしゃれな海辺の観光地として、夏には沢山の留学生や観光客でにぎわい、一度町を歩けばここは本当にイギリスか?と思えるほど沢山の言語が聞こえてきます。
私が知り合って親友になったアフガニスタン出身のサイーダという女の子がいます。イスラム教を信仰していて、親はとても厳しくどこか少し遊びに行くにも父親の許可が必要で、たとえ親友でも他人の家には一歩も上がってはいけない、男の人とは話してはいけない、一人で出歩いてはいけない、などなど制約が信じられないほど多く、そんな人生よく耐えられるなと思ってしまったくらいでした。
私はつい「そんな厳しい拘束をうけていて、いやにならないの?あたしなら絶対に無理!」と言ってしまいました。サイーダは「うーん、私は生まれた時からこうやって生きてきたし、私にとってはこれが当たり前なの、これが私の人生で感謝もしているの。」そんな言葉を聞きはっと気がつきました。私は物事にある深い意味や理由を考えずに、勝手に自分の価値観やイメージだけで判断してしまいました。
私は世界各国からの友人ができて、それぞれが全く異なった文化や境遇をもった人ばかりでした。国籍から先入観念が働き、ついその国のイメージを決めつけてしまっていることが多々ありました。例えば、イラン、イラク出身の人を見た途端にテロリストをイメージしてしまうようなものです。私は最初固定観念から物事を決めつけていました。勝手な国のイメージから壁を作り上げる、それは一種の差別の始まりともいえると思います。
しかし、実際に話したり友達になってからは、本当に良い人たちばかりなのだと気がつきました。お互いを知り合ってからはまるで本当の家族のように、行事があるたびによく集まりました。一度みんなで集まり中華料理を食べました。一つの食卓に13カ国言語が集結し、まったく異なる文化、言語、をもつ人々が一つに集まって仲良く冗談を言い、団欒している中で感動し、とても嬉しく思いました。
この経験から感じたのは、他国文化を柔軟に受け入れる姿勢が大切だということです。日本は島国であり、約200年の鎖国の歴史などからか、少し排他的ともいえるのでしょうか、外国人や異文化を柔軟に受け入れる体制がなされていないと思うのです。現在でも難民の受け入れが先進国の中でも低いという現実があります。国際化が叫ばれる現代を生きる私たちは、他国の文化を理解し受け入れ、そしてそれを吸収し、いい方向で活用していくということが求められます。
そしてまた、真の国際化を目指すにはまず私たち自身を知ることも大切です。私はイギリスに行って日本の歴史背景を聞かれたときに全く答えることができず、余りの無知さに自分を恥ずかしく思いました。
歴史的背景の上で現代の国際関係が成り立っているのに、平和ボケしてしまった私たち日本の若者は、戦争を含め歴史的事実をあまりに知らなさすぎます。まずは自分たちの祖先を、そして歴史を知る事から、正常な国際化が始まっていくのだと思います。つまり、国際社会が進む中で私たちに求められるのは、言語の習得を基本に、歴史的背景を含め深く現代社会を知っていくことです。