アメリカに行く飛行機の中では、不安とか心配はこれっぽっちもなくものすごくわくわくした気持ちでその時を心待ちにしていました。
しかし、空港についてホストファミリーに会った瞬間、これまで体験したことのないスピードで話かけられ(もちろんちんぷんかんぷん)不安になり、それと伴って飛行機酔いをしていたこともあり、記念写真を撮る間もなくそそくさと空港を去り、しかも家までの帰路で嘔吐してしまった。(車中でではありません(笑))
学校が始まり、他国からの留学生とも会いましたが、特にヨーロッパから来た留学生は「お前、なんでアメリカ来てん?」というくらい英語がペラペラで、まあ英語の上達のためにだけアメリカに来ているわけではないということが後で分かりましたが、その時のインパクトはすごかったです。
その生徒たちに負けたくないという情熱が湧いてきて、それは英語を勉強するうえでとてもいい発奮材料になりました。家族とは最初にルールなどを決めたがそれでも勘違いはあり、さらに7歳と3歳の子どもがいたため、暗黙のルールみたいなものもあり(例えば、甘いものは決められた時間に、等)そのくらいの子ども達と生活をしたことがなかった僕にとっては理解するのに2カ月くらいかかりました。
学校の初登校日、フランス人の留学生が同じ学校に行くことをあらかじめ知っていたので、昼食などは一人ぼっちになることを避けられたので良かったです。そして友達も思いのほか話しかけてくれたので、3日目で10人以上の友達ができましたが、その会話の内容や授業を理解することができる英語力にはもちろん程遠かったです。
ホストファミリーが、宿題に様々なアドバイスをくれたことは本当に助かりました。そんな中、1週目に2人の友達(なかなかの悪がき?)に誘われボーリング部にはいることが出来、彼らと馬鹿話だけでなくいろいろな話ができたことは本当にうれしく今でもよく覚えています。
もともと得意だった水泳のクラブにも入り、そこで友達がドーンと増えました。その友達とは夕食を食べに行ったり、映画を観に行ったり、パーティーをしたりと本当に楽しい時間を過ごすことができた。
そして一月の終わりにテニス部にも入り、大会で優勝して州の大会にも行くことが出来ました。本当に友達に恵まれた一年でした。
勿論ホストファミリーにもお世話になりました。友達との外出を許可してくれたり、サプライズで誕生日パーティーをやってくれたりと、あの人たちのおかげでこの経験の土台をきちんと立てることができました。
でも、もちろん注意をされたことも多々あります。友達と出かける時に行き先を変更したが、ホストファミリーにそのことを伝えていなかった。これは忘れていたとかいう事ではなく、伝えなくても時間通りに変えればいいという甘い考えが自分にあったから。
注意を受けてから「僕の責任」よりも「ホストファミリーの責任」の方が重い事を知りました。友達と出かけることをホストファミリーに伝える時に「誰誰と何処何処にいくから。」とだけ伝えていたが、これは実は無礼なことで「誰誰と何処何処に行きたいんだけど、いってもいい?」と訪ねることが必要だと言われました。
また、最初の2カ月は、部屋に閉じこもりすぎだと言われました。これは故意にそうしていたわけだはなく、日本での生活と同じことをしていたつもりだったが、その夜ホストファミリーと話しあい、「寝る場所と食事を与えているだけの関係ではさみしいし悲しい。もっと話をしたいし一緒にいたい。」と言われて目が覚めたような気がしました。
と言うように初めのころは他国の生活習慣の違いやホストファミリーとの関係の上手な築き方を理解できずに難しかったです。渡米前にもらった冊子を読んでおけばと思いました。(後悔!)
そして、ホストファミリーの変更もあり、それはとても悲しいことでした。僕が何か不祥事を起こしたからという変更ではなかったので気持ちは軽かったものの、今まで一緒に生活をしてきた人達と離れるのは本当につらかったです。
そのホストファミリーから「それでも私たちはあなたの家族だから」と言われた時は、本当に気に入ってもらえていたんだな、と実感することができました。言うまでもなく英語は上達しましたが、それだけでなくいろいろな面において成長することができたと実感しています。精神面においての成長。たとえば、ホストファミリーが子供のいる家庭だったので、子育ての大変さを知りました。学校初期の厳しい時期を乗り越えることができたから、忍耐力がつきました。
世界中の人と友達になれました。同じグループに他国から来た留学生もいたので、その人とも仲良くでき、「またいつか会おう」とか「W杯の時にはブラジルに来い」と約束もできました。 それらはかけがえのないものであり、そして、将来何がしたいか道が決まりました!