“留学をしてみたい!” 私がそう思った動機は中学生の頃、”Gossip Girl” と言うアメリカの学園ドラマが大好きで、いつかそんな学校生活を送ってみたいと思っていたからです。でも、私に待っていたドラマはそんな華やかなものではなく、私にとっては結構過酷なドラマでした。
実は、私は高校2年の時に2013年度の交換留学生として留学しようと考えていました。しかし私が高校生になった四月から急に高校の制度が変わり、高校2年時には大学推薦のための留学をすることが出来なくなってしまいました。
その時、母が急遽見つけた、まだ生徒を募集していた留学団体がWYSでした。そしてすぐに最後の最後の選考試験を受験し、自分の全ての力を出し切りました。
しかし、試験はまだまだ勉強不足だった自分にはとても難しく、手ごたえも全くありませんでした。面接でも緊張のあまりうまく答えることができませんでした。
でも、結果は何とか試験をパスすることができ、私はとてもうれしかったです。そして、念願のアメリカ留学へのチケットを手に入れることが出来たのです。あっという間にアメリカへの出発の日となり、一人で始めて行くアメリカは本当に怖くて不安でした。しかも国際線での乗り換え時間は一時間半しかなく、広い空港で迷わないか不安でした。出発前に何度も地図を確認し、現地の空港職員にも聞いた結果、迷わずに一時間ほどで移動することが出来ました。
そして無事ホストファミリーに会うことが出来ました。私には一つ年上のホストシスターがいました。まだ会って間もないにもかかわらず、彼女はフレンドリーで私にたくさん話しかけてくれました。しかし、彼女の話すスピードに全くついていくことが出来ず、それを紙に書いてもらってさえも理解できませんでした。その時わたしは自分の英語にすっかり自信を失ってしまいました。
すぐに学校も始まり、英語もまったく話すことが出来なくしかもシャイな自分に友達なんて出来るのかととても心配でした。でも、ラッキーなことに私はホストシスターと同じ学校に通っていたため、友達はあまり苦労せずに出来ました。
やっぱり友達はどんな時でも自分が困ったときには助けになってくれるし、時には私の英語の先生になってくれるので、友達の大切さを改めて実感しました。友達が早く出来たからか、私は一カ月程で学校生活に慣れ、何となく学校が「楽しい!」と思えるようになりました。
しかし、勉強面では悪戦苦闘の毎日でした。毎日の授業は全く先生の話しを理解することが出来ず、宿題を終えるのも毎日夜中までかかりました。
アメリカに滞在して4カ月がたっても、未だに私のスピーキングとリスニングが他国の留学生に劣っていることに悩みました、その理由は、せっかくホストファミリーや友達がいるのに自分から話しかける勇気と自分の英語に対する自信がなくて、いつも聞き手になっていたからだと気付きました。
そしてすぐに私は、それを改善しようと、なるべく自分から話しかける努力と、毎日洋楽を聴いたり、ホストファミリーと映画やテレビ番組を観たりしている間に、英語がすっと頭に入るようになり、今まで頭の中で文法を気にしながら話していたけど、一切その考えがなくなりました。
私はそれから1カ月もたたないうちに一気にスピーキングもリスニングも上達し、周りの人から「すごく英語が上手になったね」とほめてもらえるようになりました。その後も留学生活はうんと楽しくなり、英語を話す楽しさに気づけたと思います。
その時くらいからホストシスターとももっと話をするようになり、ある時は夜中までおしゃべりをしていたこともありました。いつも一緒に過ごしていると、いつの間にか私達は悩み事まで相談し合える姉妹のような関係になっていました。なので、別れの日はホストシスターとの別れがとても辛くて、空港に向かうまでの間、2人で思い出話をしながら大泣きしました。いまは離れ離れでさびしいけれど、またいつかコロラドに返ってホストファミリーを訪ねたいと思っています。
私が毎日楽しかった留学生活を送れたのは素晴らしいホストファミリー、友達、学校の先生、現地のカウンセラーに恵まれたからだと思っています。とても感謝しています。そして、最後まで私をサポートして下さったWYSのみなさん、本当にありがとうございました。